1981年ころのことを思い出してみる。

公開:2011-01-03 10:49
更新:2020-02-15 04:36
カテゴリ:日記,コンピュータの歴史

私の趣味はPCのいじりだが、気がつくともう30年位になっていることに気がついた。パソコンにはまり始めた30年前(1981年)頃を思い出して書いてみる。

ビデオ・ゲーム


クレイジークライマー
当時はインベーダーゲームの次の世代のビデオ・ゲームがどんどん出てきていてまさに花盛りなころであった。 その頃の中学生はゲームセンターに行ってゲームをするやつが多かった。 そのころ流行っていたゲームは「クレイジー・クライマー」・「ラリーX」・「パックマン」とかそのあたりであったろうと思う。 そのなかでも印象に残っているのがこのクレイジー・クライマーである。当時としては画期的な「サンプリング音源」を使っていた。 しかしゲーム自体はとても難しくて、あまりやらなかった記憶がある。 このゲームとは大人になってから深いお付き合いをすることになるのだが当時はそんなことは思いもしなかった。

YMO


ファイアー・クラッカー
音楽は「YMO」が流行っていて、昼休みの放送で「ファイヤークラッカー」が流れていたりしていたのもこの頃である。 YMOというのはコンピュータで音楽を作っていると聞いてものすごく興味をそそられた。 コンピュータでこんな演奏ができるってなんてすごいんだろうとか思った。 ただYMOは手引きパートが多くコンピュータで演奏しているのはシーケンス・パートやベース位だったのだが、シンセサイザーそのものがコンピュータっぽかったのですっかり騙されていた。シンセもアナログばりばりであってコンピュータとは縁遠い存在であったんだけれどね。
このころのYMOはもう「BGM」とか「テクノデリック」とかリリースしていた年なので若干遅れ気味な子供であったかもしれないね。

コンピュータ雑誌

パソコンというのを買えばただでゲームができるし、YMOのような音楽演奏ができるかもしれないと考えた私は本屋に行って「I/O」という雑誌を立ち読みし、パソコンというモノをチェックした。パソコンを実際に買うのは1年後~2年後であるが、当時はパソコンも安い物で10万円台後半で中学生の私にはとてもじゃないが手が出なかった。なのでしばらくはI/Oの立ち読みで過ごし、気が向けば電気屋に行って店頭のPCをいじったりしていた。
雑誌中でゲームは16進数の羅列で掲載されている。それをパソコンに打ち込むとゲームができるらしい。 しかしなんという途方もない数字だろう。小さい文字でページいっぱいに数字が掲載されており、それが何ページもあるではないか。 ゲームというのは数字の羅列で作られているのだということをこの雑誌を見て知ったのある。

当時の雑誌はゲームをこのような形で(ダンプ・リストとかいっていたように記憶している)掲載していて、頑張って打ち込めば雑誌代だけでゲームを手にすることができたのであった。当時I/Oの雑誌で有名だったのは「芸夢狂人」こと「鈴木隆成」さんである。2-3ヶ月に1回の割合でリリースをしていて、またその内容がゲームセンターのゲームそっくりだったのですごいなあとか思ったものである。でもまだこのころはパソコンを持っていなかったので雑誌の立ち読みで悶々としていた。

ゲーム電卓


ゲーム電卓

この頃ゲーム電卓というものがが流行っていた。ゲーム電卓は電卓にゲーム機能がついたものである。 みんなこぞって電卓を買い、ゲームにいそしんでいた。
見た感じインベーダーとは似ても似つかない感じだが、でも当時はインベーダーゲームにそっくりだなとか思ってやっていた。プレイ感覚が似ているのだろうか。なんでこんなものにハマっていたのだろうかと今は思うが。。

ゲームウォッチ

これもものすごく流行っていたなー。私が最初買ったのは「ファイアー」だったと思う。1つのマシンで1つのゲームしか遊べない。そのうち任天堂DSみたく2画面モデルやワイド液晶モデルとか出たりしていた。
たしかドンキーコングが2画面だったような気がする。
時計としてはすぐ狂うこともあってほとんど使っていなかった。
 

PC6001

この年にPC-6001(ぱ・ぴ・こ・ん)というのが発売された。私は買わなかったが、当時にしてはすごいゲーム向きの性能であこがれのPCであった。この頃はNECが1番でシャープが2番という感じだったね。私はその後MZ-700を購入してシャープ派になるのだが。