気がつくとWindows OSに何かを期待することはもうなくなっている。Insider Previewを常にアップデートし、チェックしているのだけれども、「おお、これはすごい」と思うような感じが全然ない。
オープンソース・プロダクトから常に新しいものが発生し、それに追随するような時代になっているので、プロプライエタリなOSの欠点ばかりが目立つ。
例えばこんな記事。
http://www.infoq.com/jp/news/2015/07/npm
npmも最も重要な変更のひとつは、依存関係の更新だ。平坦化された依存関係により、多すぎる依存関係によりWindowsファイルシステムをブレークし、パスがExplorerや他の一般的なツールが処理するためには長すぎるケースを排除することが期待されている。
Windows OSはパスが深いnpmモジュールだと正常に動作しない場合がある。このためLinux/Macだと労せず使えるものが使えなかったり、使うための工夫が必要となってしまう。ここですこし遅れが出てくる。
シェルなどもそうだ。シェルスクリプトが使えないので、前時代的なバッチファイルに置き換えるか、bashを動かすためにMSYSというunix互換レイヤを導入しなければならない。
このようにWindowsで何かをするための敷居がどんどん高くなっているように思う。
昔はそうでなかったと思う。便利なアプリはWindowsでどんどん作られ、それを使うためにはWindowsが必要だから入れるという循環が主流であった。世の中(PC利用という範疇の話だが)はすべてWindowsで回っている、そんな感じがしたものだ。
今はWindowsの将来というのは悲観的なイメージしか湧いてこない。
インストールベースだけは多いのでそう急に廃れるわけではないと思うけど、衰退は確実に始まっていると思う。Edgeなどを見ても過去を切り捨てたようなイメージはあるが、とても先端を行っているようには思えない。なにかこう中途半端さを感じて仕方がない。
アプリの世界を見てもAndroid,IOSベースが主流となっていて、Windows Store Appが付け入るスキはないように思う。Windows OSの特殊性があだとなって、新規参入の妨げとなっている。開発ツールでなんとか盛り返そうとしているけれども、なかなか難しいのではないかと思う。ただこういうMSの姿勢を見ていると危機感は感じ取れる。何かを変えようとしているけれども、巨大企業にありがちなことだけど、動きが遅く感じてしまう。Windows 10はよくやっていると思うけどね。
Windows OSはより一層オープンソース・プロダクトの親和性を高める必要がある。最終的には「プロプライエタリなLinux」となるかもしれない。UIだけMSオリジナルなLinux。 XENIXを一度捨てたMSだけれども、また復活させるような動きに結果的になってしまうような、そんな気もして。
MSに対しては特別の愛着を感じているので、衰退しつつある状態であってもあたたく見守る次第である。まあOSだけがMSのプロダクトではないしね。OSがどうなってもMSはMSらしくしぶとく生き残っていくのではないかと思うが。