私のPC年表

公開:2014-11-27 18:27
更新:2020-02-15 04:37
カテゴリ:ハードウェア,コンピュータの歴史

何度かブログに同じことを書いているような気もするが。。高校1年生のときはじめてPCを購入した。現在までの変遷を年表にしてみると下記の通りであった

使用してたPCCPUメモリ外部記憶グラフィックコメント
1982

Sharp MZ-721

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/26/Sharp_MZ-700.jpg/600px-Sharp_MZ-700.jpg

Z-80A 4MHz 64Kbyte カセットテープ(1200bps) 80×50セミグラフィック もっぱらBASICマガジン・I/O・Oh!MZ・マイコンというPC専門誌に掲載されているゲームを打ち込んで遊んでいた。いくつかゲームを作ってみるも途中で挫折。ゼビウスモドキのスクロールシューティングの作りかけが最終成果物であった。
1983
1984

Sharp X1-C

http://loncelot.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_48c/loncelot/DSC05649.JPG?c=a0

X1C CZ-801 (Sharp) 1983年 起動成功、まとめ編:古いハードに囲まれて:So-netブログより画像を引用

Z-80A 4MHz 64Kbyte カセットテープ(2700bps) 640×200 8色グラフィック グラフィック能力に衝撃を受け、貧乏な家庭であるにも関わらず理解ある親のおかげでなんとか購入してもらった。 しかしBASICマガジン・I/O・Oh!X・マイコン・テクノポリスというPC専門誌に掲載されているゲームを打ち込んで遊んだり、市販ゲームパッケージもたくさんあったので購入して遊んでいるだけのバカ息子であった。テクノポリスの一画面プログラムで採用されたゲームが唯一の成果物。このPCでようやくアセンブラを入手し、アセンブラプログラミング中心の生活を送るも大した成果物なし。YMOのカバーを作りはじめたのもこのころ。PSGで鳴らしたものを多重録音して友達に聞かせたりしていた。
1985
1986

FUJITSU FM77-AV

http://www2.plala.or.jp/yasinoue/mypc/fm77avph.JPG

FM77AVより

6809 2MHz 128Kbyte 3.5inch フロッピーディスク×2 320×200 4096色 640×200 8色

何を血迷ったか大学進学断念および家業を継ぐということを約束にFM77-AVを購入してしまう。この行為は今もちょっと後悔している。こういう馬鹿なやつなのだ。私は。

FM音源を使ってYMOのカバー曲つくりを行うことに没頭していた。ファイアークラッカーを適当にアレンジしてOh!FMに投稿したら採用されたのが成果物と言えば成果物である。

このPCで6809のすばらしさに触れることができた。C言語を覚えたのもこのPCから。

このあと不景気となって家業は廃業することになり、私はゲーム会社に就職した。その時に趣味のPCで培ったアセンブラの知識が生きたのであった。

1987

SONY HB-F1

http://f1-ho-opc.com/opc/siries/syashin/msx/hbf1-2.jpg

opc より

Z-80A 4MHz 64Kbyte ROMカセットのみ 256×192,256×212,512×212 16色/256色 勤めていたゲーム会社で支給されたもの。支給された意図はわからない。私はこのPCでスペース・マンボウ/がんばれゴエモン/グラディウス2をやりまくった。どこに勤めていたかバレバレだが。。

これ以降C1を購入するまでPCは購入しなかった。忙しくてそれどころではなかったのだ。

この間はリズム・マシンやシンセを買ってDTMもどきのようなことをやっていたような気がする。サウンドエンジニアとかに聴いてもらったりとか。評価はさんざんであったが。会社にはプロのサウンドエンジニア・コンポーザーがいて、そのクォリティの高さに感動した。やっぱり違うなと。

1988
1989
1990

YAMAHA C-1

http://data.yamaha.jp/sdb/product/image/main/medium/c/c1/F446616F69074353BBB6267C0A8348FE_12001.jpg

8088?かな? 640Kbyte? フロッピーのみ 640×400 モノクロ

1990年に現在の会社に転職。このPCは入り浸っていた中古楽器屋で10万程度で購入したもの。YAMAHAがIBM/PC互換機をベースにMIDIポートをたくさん付けたマシンであった。シーケンサーソフトがなかなかよくできていた。この前はMC-500を使っていたんだけども、一画面で見れる情報は段違いに多かった。互換機なのでPCゲームも動くことは動いた。このC1を購入したあとでシンセをいくつか購入した。まあでもすべて手放したけども。

1991

IBM PS/55 Note

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/1009/tp0501.jpg

80386SX 12MHz 2MB HDD 40MB 640×480 モノクロ

DOS/Vパソコンが普及し始めたころに購入。これはもう衝動買いであった。仕事と趣味両方で使用していたが、ほぼ仕事上でのドキュメント作成に使用していた。たしかメモリを4MBに増やしてWindows 3.0か3.1を入れて使っていたような記憶がある。それまでは会社のMacを使ってドキュメント作成を行っていた。

1992
1993
1994
1995
1996

IBM Aptiva H55

http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/1551/image.jpg

Pentium 150MHz 16MB HDD 2.0GB 800×600か1024×768

結婚後初めて購入したPC。Windows95マシン。このPCに搭載されているサウンドボード(確かMWave?)は波形メモリ音源で結構本格的(当時のPCにしてはだが)であった。このころからPC音源に目覚め始める。

1997
1998

自作PCの時代

https://sfpgmr.github.io/images/2014/11/20141127.JPG

Core i7 2700K 8GB HDD 3TB 1920×1080

ここから自作PCに走る。どのような変遷であったかまるで記憶がない。ちゃんと記録しておけばよかったなぁ。。スペックは現在のもの。

OSはWindows95 OSR2 -> Windows98 -> Windows 98 Second Edition -> Windows Me -> Windows XP -> Windows Vista -> Windows 7 -> Windows 8 -> Windows 8.1とアップグレードしてきているのでだいたいそのタイミングでPCをアップデートしてきたように思う。

1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014

現在所有しているPCはいわゆる「自作」ものである。PCの内部構造は規格化されており、パーツを買ってきて組立てるだけで簡単にPCを作ることができる。比較的安価で高性能、かつ過去のパーツを再利用できるので私はそうしている。

しかし近い将来、PCの自作そのものができなくなるのではないかという不安がある。デスクトップPCというジャンルそのものが衰退しているし。というかデスクトップを使っている時点で化石な人なのかもしれない。