ゲームセンターは確かにたまり場だった。

公開:2014-11-30 08:17
更新:2020-02-15 04:37
カテゴリ:ゲーム

確かにゲームセンターは溜まり場であったねぇ。

「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで
「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで

私が中学生くらいのころアーケード・ゲームはピークだったと思う。高校生の終わりころになるとファミコンが流行ってちょっと陰りが見えてきたころ。放課後友達とつるんでゲームセンターに行ってゲームを楽しむ楽しかったんだよねぇ。これが。ゲームの合間に雑談したりとかね。

ハイパーオリンピック

私の学校の近くにダイエーがあって、そこそこ大きなゲームコーナーがあった。当時流行っていたのはハイパーオリンピック。

Track and Field より

テーブルタイプのものが広いスペースに沢山置いてあってそのうちの数台がハイパーオリンピックで占めていた。ちなみにテーブルタイプの筐体とはこれ。

このゲームで記録をたたき出すには専用のアイテムが必要であった。もちろん反則だけども、皆が使うため使わざるを得なかったのだ。一番有名なのはプラスチック定規。これをボタンにあててうまくはじくとものすごい記録が生まれる。なので皆このアイテムへの研究には余念がなかった。ステンレスの定規を使うものもいた。まともにプレイしろよ。。私はアルトリコーダーについていた清掃用の棒。

私のアルトリコーダー清掃棒は研究の成果と言いたいところだが、プラスチック定規がすべてこのゲームのせいで折れてしまい、やむなく代用品として利用していたにすぎない。

これを使いハイパーオリンピックの1プレイを大事に大事にプレイするのだ。学生なので金はない。このゲーセンは1プレイ50円均一であったものの数プレイ程度しか手持ち資金はなかった。この資金も小遣いと昼食代を節約してねん出したものなのだ。

ある時プレイ時に力みすぎてしまい、アルトリコーダーの清掃棒が折れてしまった。折れた棒の先が2-3m先のゲーム卓に勢いよく飛んで行ってしまった。そのゲーム卓には「いかついお兄さん」が座って真剣にゲームをプレイなさっていた。これはまずい。殴られる。。と思ったのもつかの間「お前らしばくぞ」という怒号が(私は関西出身)。しかしお兄さんはゲームに熱中していたせいかそのお言葉を発したのみであった。

我々はこれ幸いにそそくさと退散した。