RYDEENのカバー曲をパソコンで作り始めて35年経過した~ここに至るまでの変遷をまとめる(1)

公開:2019-04-15 21:11
更新:2019-04-17 20:32
カテゴリ:ymo,rydeen

はじめに

最近になってまたYMOのRYDEENのカバー曲つくりを再開している。ちょっと飽きてきた感はあるんだけど。。

BASICのPLAY文で打ち込み、ダブルラジカセでピンポン録音しはじめたのが17歳ころじゃないかなと思う。そこから数えると今年でちょうど35年目である。現在はWin10+REAPER+UR22MkIIAKAI MPK miniで作っている。

35周年を迎えたこのカバー曲つくり。ここに至るまでの変遷と現状についてここで一つまとめておこうと思った。多分過去に同じようなエントリを書いてるような気もするが、まあいいか。。

きっかけ

パソコンが欲しいと思った理由のひとつにYMOの曲をコンピュータで自動演奏したいというのがあって。これがまあ中学3年生のころ。イエロー・マジック・オーケストラのコンセプトや曲に当時打ちのめされたわけで。それまでは歌謡曲とかビートルズとかを聴いてたんだけど、YMOを聴いてからは私の音楽に対する接し方が変わったといっていいだろう。

私が生まれたのは1967年だから、YMOが結成された1978年はまだ小学5年生だ。さすがにその頃は歌謡曲一辺倒だったと思う。ザ・ベストテンは毎週欠かさず観てたと思うな。最初に聴いたのは中学生になってからで、昼休みに学校でかかっていた「コンピューター・ゲーム~ファイアークラッカー」を聴いたのが最初。リアルタイムではなくてちょっと遅れて知ったのだった。

このころはゲーム・センターが華やかりしころで、それこそダイエーのアミューズメント・コーナーもテーブル筐体がずらっと並んでるような時代。私も時間があればゲーセンに友達と足を運んだりしてた。そういう時代なのでイントロの「サーカスのテーマ」はとても親しみを感じるもので、それに続く音楽がまたコンピューターを連想させるようなものだったので、すぐに虜になったんだよな。ベースとピッコロがシーケンサで自動演奏されてるんだけど、そのシーケンスに耳がやられたんだな。それまではそんな音楽聴いたことなかったからね。シンセサイザーもすでに歌謡曲でも使われてたはずなんだけど、自動演奏というのはちょっと聞いたことがなかった。

通ってた中学校の放送部のひとたちはちょっと洋楽に傾倒してるような感じで、まあちょっと「おませ」なところはあったんだろうな。ナックの「マイ・シャローナ」なんかもいまでいうヘビロテでかかってたしね。なかなか面白い中学だよね。私の音楽の情報仕入れ先は中学校の昼休みに流れる音楽だったんだよな。

友達や放送部のひとたちがどのように当時情報をキャッチしてたのかはわからないんだけど、たぶんFMラジオや音楽雑誌とかなんだろうなと思う。インターネットはなかったからね。

そういうわけでこのYMOなるグループも海外のバンドなんだろうと思ってた。でそれでダイエーのレコード売り場(昔のスーパーマーケットというのは田舎の百貨店みたいな時代があって、何かを買うとなるとダイエーにまず行ってみるのがデフォルトだった。)に行くとやはりジャケットが電線が飛び出た着物を着た女性の絵で、ちょっとこれは私には合わないのではないかと思って、買うのを躊躇した。こんなジャケットのレコードを売り場のレジに持っていったら怒られそうな気がするし、買って帰っても親にも怒られそうな気がした。なので中学生の時は買うことはできなかった。

昼休みの音楽は楽曲紹介もなく、ただひたすら音楽を垂れ流すようなものだったので、なぜその曲がYMOのファイアークラッカーだとわかったのか、なぜそれがコンピュータで自動演奏されていると知ったのかはどうしても思い出せない。友達に教えてもらったというのが一番可能性が高そうだけど。。

中学生の時代にレコードを購入することはかなわなかったんだけど、同時期パソコンというのがちょっと流行りだした。そしてPC6001というパソコンで音楽演奏ができるということをFMラジオで知った。その番組ではPC6001を使ってクラシックの曲と、ライディーンを演奏していた。もちろん3音しか鳴らないんで、アレンジはPSG向けで原曲とはまるで違うんだけど、コンピューターによる自動演奏の可能性を感じたんだよな。そのとき。

同時にゲーム・マシンとしてのパソコンにも魅力を感じていて、自動演奏とあいまってコンピュータが欲しくてたまらない状態だったのが中学3年生のころだった。

そして高校生になってコンピュータを手にするんだけど、この続きは次回ということで。。